横山幸雄ピアノリサイタル

bebian912006-08-04

誘われ方

ワイン会に良く来てくれる浩子さんの会社の理事がピアノリサイタルを開くと言う。


浩子:「村松さんそういうの好きかと思って。」


好きだけど、理事が趣味でやるコンサートはなあ…。


主宰:「とりあえずチラシとかホームページとかないんですか? メールで送ってください。」
浩子:「たしか凄い有名な人なんですよ♪」
主宰:「有名な人?名前は?」
浩子:「それはメールを見てからのお楽しみということで…。」
主宰:「そうですか。ではメールお待ちしてます。」
浩子:「わかりました。」


この時点では、「理事が趣味」というのが頭から抜けなかったので、全く行く気はありませんでした。ピアノで有名なのではなくて、別なことで有名な理事がコンサートを開くのだとばかり思ってました。


三日後、メールが来た。URLが載っていたのでクリックしてみた。


横山幸雄


横山幸雄かあ。なんだ本当に有名な人じゃん。ところで何で理事なんだ?まあそれは今度浩子さんに聞くとして、一度聞いておくのも良いかもしれない。で、曲目は…?


ベートーヴェン ピアノソナタの夕べ」


なあんだ…、どうせ「悲愴」と「月光」と「熱情」の名曲プロだろ、どうせ。


ピアノソナタ第30番ホ長調Op109、第31番変イ長調Op110、第32番ハ短調Op111」


むむ!!!
これはなんと気合が入ったプログラムなんだ! 好きな曲だしこれは行ってみなければ!


「オペラシティ・コンサートホール」


オペラシティも一度も行ったことがなかったからこれはいい機会だ!

前半

まず30番の出だしの第一声で、意思のある確かなタッチと潔癖さが感じられた。最晩年のベートーヴェンソナタは、和音が込み入ってくると並のピアニストでは一つ一つの音符の意味を汲み取れず、また表現できない訳の分からない濁流になってしまうのだが、横山の織り成す透明な響きは、ペダル踏みっぱなし&オペラシティの長い残響でもその音楽の意味を一瞬たりとも損なうことはなかった。
第30番の第3楽章の変奏曲の各変奏の描き分けが見事で、曲が終わったとき、


「すばらしい…」


とつぶやいてしまいました。


次の第31番の演奏は特に見事で、横山の完璧なリズム感に裏打ちされた曲の構成感とスケールが完全に表現され切っていた。31番がクライマックスが近づくと感動のあまり背筋に電流が走ってしまった。主宰的には、今日は31番が最高の感動を与えてくれた。

休憩

主宰:「赤ワインのボトル見せてください。」
店員:「はいどうぞ」


vin de table


主宰:「だめだ、こりゃ。白は?」
店員:「はいどうぞ」


vin de table


主宰:「泡は?」
店員:「はいどうぞ」



主宰:「これは本物のシャンパンか。じゃあこれ。」
店員:「かしこまりました。」


店員は4分の1ボトルの半分しかフルートに注がなかった。


主宰:「半分だけなの?ミューザ(川崎)は1本くれるのに。」
店員:「はあ…。」

後半

第32番は、テクニック的にも音楽の精神性を表現するにも今日もっとも難しい曲である。
はずだったのだが…。なんとも軽快にあっさりと軽く流す感じで弾いてしまった。
こういうのもありか…、と思いつつ新しい発見があるにはあった。
主宰がイメージしていた音楽解釈ではなかったが、やはりこれもよい演奏だった。

アンコール

アンコールも全てベートーヴェンソナタだった。
・悲愴の第2楽章
テンペストの第3楽章
・月光の第1楽章…
月光の第1楽章の演奏が終わり拍手が始まったが、横山はそれを遮るかのようになんと第2楽章を弾きはじめる。そして、当然のように第3楽章にそのまま突入。結局月光ソナタを全部演奏してしまった。
突然の超名曲の演奏に観客は大喜びだった。特に第3楽章は横山のテクニックが存分に発揮され、正確なタッチとどんな早いテンポでも完璧に弾き切る様はサーカスのようだった。

横山の心の内

リサイタルなのでアンコール3曲は珍しくは無いが、月光ソナタを全部引いてしまうのは前代未聞なのではないだろうか?
普通なら「なんてサービス精神が旺盛な!」となるところだが、主宰は横山の心の内を読み取っていた。


今日は横山のデビュー15周年のリサイタルで曲目からもその並々ならぬ意欲が感じられたが、素人には少し理解が難しい曲目だったようだ。実際、客席のあちこちで寝ている人、退屈そうにしている人がたくさんいた。


横山はそのあたりを察して、猿でも分かる超名曲で音楽に造詣が浅い素人を「やっつける」ために演奏したのだった。


横山の思惑通り、スタンディングオヴェーションで拍手をしている人たちが何人かいた。主宰に言わせればスタンディングオヴェーションをすべきタイミングがあるとすれば、それは正規のプログラムである32番が終わったあとである。


スタンディングオヴェーションを見た横山はきっと、


「フフフ…、はまったな…。」


または、


「素人が…。」


と心の中で蔑んでいたに違いない。

総評

ある程度名は知れているし、そんじょそこらのピアニストには組めないプログラムなので、ある程度期待して行ったのだが、とある成功者の言葉を借りれば「場外ホームラン」で、近年に無い演奏会での感動だった。
素人は月光のテクニックに喜んでいたが、横山の音楽性は緩叙楽章にこそ真価を発揮しているように思えた。緩叙楽章における全音符などの長い音の一つ一つの意味をこれだけ雄弁に語れるピアニストは他にいないだろう。


短目と思っていたプログラムもアンコールのおかげもありお腹いっぱいになり、またアンコールの動機や内容と客の反応も含めてすべていろいろと楽しむことができた。


横山は印象としては少し地味な部分がある。さらに横山自身も「分かる人が分かればいい」という考えを持っていて偏屈なところがあるらしいが、このあたりが実力がありながらスターダムを登りきらない理由なのだろう。今後の活躍に期待したい。