冥王星

bebian912006-08-25

心情的には

やはり寂しいものを感じずにはいられない。
宇宙戦艦ヤマトでは必ず重要な戦いの舞台になってきたし(海があったり、死ぬほど寒いはずなのに顔面だけを覆う「宇宙服」で乗組員が動き回っていたり、固有の原始生物がいたりしたのは笑えたが)、太陽系の一番外の惑星というロマンに思いをはせることも多かったように思う。また、今回「降格」の理由となった1.他の惑星の軌道面からずれていること、2.他の惑星と違って軌道がずれていて海王星の内側に入ることがあることも特異な惑星ということで好きだったのだが…。

他に学会で提案された案

2003UB313」は第10番惑星になるはずだったので、これも非常に残念な気がする。
さらに、びっくりしたのはいままで冥王星の衛星とされてきた「カロン」が、冥王星と「二重惑星」になるという案。二重惑星ってことは、互いの引力で小さいエリアを公転し、さらに核となる恒星(この場合はもちろん太陽)を公転する惑星のこと?
だとしたら、ガミラスイスカンダルで「二重惑星」いう概念が出来て以来の初の「二重惑星」だったのに、これもとても惜しい気がした。

占星学的見地から

冥王星は、破壊と再生、原子力、無から有を生む、無意識の力、そしてこれらが尋常でないことの象徴だった。
ところが、昨今の世の中の動きを見ていると、破壊と再生は常態化し、原子力は否定される方向にある。また、「オーラ」という言葉の象徴されるように、不可思議な力のようなものが既に尋常なものとして認知されつつある中で、冥王星の占星学的な役割は終わりつつあったと言っても良かったかもしれない。
それを考えると、今回の天文学会の決定は無意識にそれに倣ってしまったなではないかとの推察をしているのである。
こんな話を理解できる人がちょっと前まではまったくいなかったように思うが、恐らく主宰が言わんとしていることは多くの人に分かってもらえると思う。(肯定するかどうかは別として、言っていることの意味が分かるということ。)
そのこと自体が、冥王星冥王星たらなくなった理由であるようにも思う。

音楽の冥王星

主宰の母:「マーラーはどうなっちゃうの?」
主宰:「マーラー?」
母:「ほら、星の曲があったじゃない。なんだっけ?『ジュピター』だっけ?」
主宰:「『ジュピター』はモーツァルトだよ。『惑星』のことでしょ。『惑星』はマーラーじゃなくてホルストだよ。」
母:「そっか。」
主宰:「ホルストが惑星を作曲した頃はまだ冥王星が見つかってなかったから、曲は海王星までしかないんだよ。」
母:「ふーん。」


でも、主宰は冥王星のCD買いました(冒頭の写真)。
最近発売になった、サー・サイモン・ラトルベルリンフィルの「惑星」のCDに、なんと、マシューズという作曲家が最近作った「冥王星」という曲が収録されているのです。(このCDが初めてではない)
マシューズの曲は「冥王星」単体を描いている音楽ではなく、ホルストの「惑星」の続編として作ったとのことで、演奏の方法としては海王星の最後の女性合唱が消え行く終わり方のところで終わらず、そのままマシューズの「冥王星」演奏になだれ込むという楽譜も用意されているということである。(ラトルのCDは海王星で終わって区切られている。)


ホルストは占星学に造詣が深かったらしく、曲想はすべて各惑星の占星学的な意味に拠っている。マシューズの曲を聴いてみたが、彼が占星学に造詣が深いかどうかは別として、一応そのあたりは正しく理解されているようだった。


このCDの凄いところは二枚目に、最近の若い作曲家による「アステロイド(小惑星帯)」や「セレス」が含まれていることである。なんとタイムリーな…。