バリのもろもろ

バリは楽しかったです。今すぐにでも飛んで戻りたい気分です。

酒はビールくらいしかないものと思っていたが、バリワインには驚いた。4日目のレストランで店員と盛り上がって、バリの地酒を経験できたのは良かった。
ビンタンインドネシアが独立する前にハイネケンの工場だったものを独立後、国が接収して作った会社だそうです。

食事

朝はホテルのバイキングだったので、普通にパン、パスタ、オムレツ、粥などを食べていた。遅い時間でおなかいっぱい食べてしまうので、基本的に昼食はなしで、夜は地元料理を堪能した。どこまでが、インドネシア料理で、どこからがバリ料理かは分からなかったが、全体的に美味しかった。ただし、味にバリエーションはあまりないので、多少飽きるところはある。
今回はホテルや観光客向けの店での食事がほとんどだったが、次に来るときは地元の人たちの町の食堂などで食べてみたい。ナシゴレンが2000ルピア(約23円)で食べられるらしい。

ホテル

アヨディア・リゾートは良かった。旧ヒルトンということだった。施設が充実していて良かったし、ビーチもいろいろなサービスがあってよかった。
びっくりしたのは、ロシア人の多さだった。アヨディアは日本人客が40%で、50%がロシア人なのだそうだ。時代を感じた。中にはカザフ人もいて、さらに驚かされた。

バリの人々

バリの人々は基本的に自分たちを「インドネシア人」とは思っていないようだ。バリ人としての誇りとブライドが非常に高いことを肌で感じた。
背景としては、インドネシアは基本的にイスラム国家であるが、バリ島だけは住民の90%が土着宗教とヒンドゥー教が融合したバリ・ヒンドゥーの信者であり、また非常に信心深くまじめである。(これも肌で感じたことの一つ)
インドネシア(標準)語では、ありがとうのことを「テレマカシー」と言い、どういたしましてが「サマサマ」で、これを話すと彼らは理解することは出来るが、普段はバリ語で会話しているらしい。


滞在中に「テレマカシー」「サマサマ」と何回も地元の人に言った。が、通常、現地語でこの類の言葉を話すと現地の人は喜ぶものなのだが、バリ人の人たちはかなり冷めた反応だった。それどころか、


「バリ語ではテレマカシーは○○、サマサマは○○って言うんだよ。」


と説明して主宰にしゃべらせようとする現地人が3人もいた。
日本人に対する感情はかなり良好で、他の国へ行った時より歓迎の色が濃く出ていた。なぜかよく調べてみると、日本敗戦後インドネシア独立時に日本の前に占領していたオランダ軍゙が再び植民地化しようとしてバリ島にも進軍してきたが、現地の英雄ングラ・ライの抗戦活動に、現地に残された旧日本兵の一部が加勢し最前線で多くの命を犠牲にして戦ったということが伝えられているから、とのことだった。

明日からは…

4日目の思い出深い夕食後、あしたから痩せよう!と心に誓いました。
5日目はブランチの後、深夜発の飛行機に乗るために空港に着くまで何も食べませんでした。空港では最後の地元料理を腹8.5分目まで食べて飛行機に乗りました。
飛行機はジャカルタ経由でデンパサール発は23時だったので、機内食が出るとしても日本に近い頃に朝食が出るくらいだろうと思っていた。
ところが、ジャカルタまでの間のたった一時間の間のフライトで、出てきました。機内食。ミーゴレンが結構旨い。どんな理由があろうと据え膳は頂くことにしているので日付が変わる頃に完食。
丑三つ時にはパンが配られ、朝にはまた機内食が…。まるでブロイラーのように餌?が支給されるがやはり完食。昨日の誓いはなんだったんだ…?
家に帰ってからは「今日だけはしっかりと和食」ということで、昼はコシヒカリを中心とした食事を摂った。バリでのインディカ米のナシゴレンや蒸しご飯もなかなか良かったが、やはり日本人の心はジャポニカ米だ。
夜は母と近くの美味しい蕎麦屋で天せいろの大盛を食べた。さあ明日からは痩せるぞ!
と次の日、ブランチ以降何も食べていなかったのは良かったが、夜に高田馬場のラーメン屋「やったる」に来てしまった。しかも3人で、醤油ラーメン、つけ麺、油そばをそれぞれ頼んで交換した。超お腹いっぱいになってしまった。今度こそ絶対明日からは痩せるぞ…。(ホントかよ?)