感情の共有を拒否

父が亡くなってから、1ヵ月近く経つがまだ訪問してくれる近所の方が絶えない。有難い事だ。


今日も近所の方が見えた。主宰と同じクラスだったことがある女性のお母さんである。なんと、その女性は7年前に亡くなっているというのである。
67とはいえ「旨いもん食って死ぬんだ!」と豪語して大往生した父に比べれば、7年前とはいえ、そちら方がご愁傷様という感じだった。
なので、主宰もそのような言葉をかけたが、その方はどうしても7年前の事がショックでそこから抜けきれていないようである。そして、その傷心を今回の不幸に重ね合わせて不幸を共有したかったようだ。


そこで主宰は敢えて、
「父は大往生だから超OK!」
「父が亡くなったことで家族が集結して盛り上がりまくっている。」
と言ったり、父の生前の楽しいエピソードを紹介したりした。


不幸な感情を共有する気はさらさら無いことを態度で示した。


その方は帰り際、半ば怒って帰っていった。
母にもしかられた。


が、不幸な感情の共有など、いったい何になるというのだろう?
絶対に信念は曲げられなかった。